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のび旅管理人、のび太のおっちゃんことJUNYAです(*´ω`)
ココでは、2014年9月からあっちでもなくこっちでもなく、
フラフラウロウロと生きながらえている僕が、
ごく普通の大阪人だった頃の昔話から、
のんびり旅するように生きる人
になったキッカケについてお話していきます。
着の身着のまま生きている僕ですが、
かつては極度の人見知りで、
友だちも少なく、狭い範囲で退屈な暮らしをしていました。
そして30歳の時、ある絶望的な出来事がきっかけで、
人生を大きく好転させることになったのです。
普通の大阪のオッサンが30歳で旅に出るまで
僕は30歳で旅にでるまでどんな生き方をしていたのか。
基本変なヤツと言うのは何となく自覚していましたが、
それでも極普通の一般的な暮らしをしていたんですよ。
30年間ずっと大阪で普通に暮らしてました
僕は今でさえ一か所にじっとしていられず、
半年ほど同じところに滞在しようと思っていても、
結局気が変わって2ヵ月ほどで移動してしまうような生活をしていますが、
30歳で大阪を飛び出すまではずーーーーーーーと、
30年間大阪に住んでいました。
18歳で実家を出てみて結婚とかもして、
でもスグに離婚になって出戻ったり。
そんなこともありましたが、
ずっと大阪。
今考えるとよくそんなに同じところにずっと
暮らしてられたなーと感心します。
家があってそこに暮らす。
それ以外の選択肢が僕の中にはなかったんですね。
一般的な人はそれが当たり前で、
そういう暮らししかしたことが無い人が
大半を占めていると思います。
しかし一度、常識とか価値観の外に出てみると、
それが自分にとってしっくりくる
という事は結構あるもんなんですよ。
僕の放浪癖がまさにそれで、
かつては家に住むのは常識と思い込んでいて、
そういう価値観しか無かったんですよ。
でも一回自分の常識から抜け出して経験してみると
凄く心地良くて辞められなくなってしまった訳です。
ただ、なかなか自分の価値観とか、
世間の常識とかの外に出るのって、
キッカケもないし難しいんですよね。
昔は女の子が超苦手で全く会話が出来なかった
今はね、女の子がいればタイミングを見計らって
スグに話しかけます。
ナンパとかは未だに苦手なんで、
街中で「ねぇねぇおねーさん、ピーマン好き?」
とかいうのはしませんが、宿泊中のホステルで、
話しやすそうな女の子、特に日本人がいると、
喜んで話しかけます。
そしてちょっと話が弾んだら、
一緒に観光行こうとかご飯行こうとか誘っちゃうんです。
でも昔々、18歳で初めて彼女ができるまでは、
女の子と何を話して良いかわからず全く会話にならない男でした。
初めての彼女はそんな口下手な自分に興味を持ってくれて、
積極的に話しかけてくれました。
そして付き合う事になりあっと言う間に結婚し、
あっという間に離婚するという中々濃い体験を、
僕にくれた台風の様な人でした。
女子と話すのには慣れたが友だちがいない寂しい暮らし
淡々とまとめて書きましたが、
離婚した当時はめちゃくちゃ凹みましたよ。
まぁそのお陰で女の子としゃべることに、
必要以上に緊張するという事は無くなりましたね。
経験とか慣れって凄いなーって実感した出来事でした。
で結婚生活の間はほぼ嫁としか関わってなかったんで、
他に友だちってほとんどいなかったんですよね。
なので離婚した後の携帯のメモリーは十数件。
それも親と仕事関係が半分。
誰とも関わってないな―って思いながら
何となく寂しい思いをして暮らしていました。
このまま自分の存在を知っている人が、
この世に数人しかいないまま細々と生涯を終えるのかなー
とか考えるて、なんか悲しい気分になってましたね。
離婚後しばらくして友だち増加し、再び幸せを掴む!!
離婚後は寂しい思いをしながらも、
日々仕事と家を往復するだけの暮らしを
せっせと続けていました。
そんな平凡で退屈な生活をしていると、
クソガキの頃からの友だち K太郎が空手に誘ってくれたり、
草野球に誘ってくれたたりで徐々に友だち増えて行きます。
さらに単独でも、
SNSとかで参加者募ってるイベントに
参加しまくったりする様になりました。
で、
そこで知ったなんかオモロイBARに通ったりして、
知り合いも友達もいつの間にか結構増えてたんですよね。
と言っても元々あんまり人と深く関わる事をしてこなかったんで、
そんなにガッツリ個人的に仲良くなる人っていなかったんですが、
広く浅く見たいな感じが丁度良かったです。
そんな感じでなんかスゴイ最近楽しいなーとか思ってたら、
良い感じに良い感じの子が現れて、
なんだかんだ2~3年付き合って結婚する事に。
1回目スグ終わっちゃったんで今度こそは、
末永く寄り添って生きてくぞい!!
と幸せいっぱいで始まった新婚生活。
1回目は若過ぎたんで式も新婚旅行もなかったんですが、
今回はそれなりに年いってたんで、
ちゃんと式も披露宴も、新婚旅行も行きました。
29歳にして初の海外旅行。
しかもタヒチ。
海がめちゃくちゃキレイやし、
人がみんなフレンドリーで優しい。
「海外とか全然興味なかったけど、結構ええやん!」
って思いましたが、
ただ、予定組んだりあれ予約してこれ予約して、
ってのは自分ではやりたくないし面倒くさい。
「計画してくれたら一緒に行くよ」
くらいの感じで海外にハマるという事は
この時は全くなかったんです。
半年後に台湾に行った時も楽しかったけど、
3泊4日とかのスケジュールは忙しいし、
まぁたまにやったらええなぁくらいの気持ちでした。
幸せな暮らしが突然崩壊し全てを捨てて自転車で旅立った30の夜
末永く幸せにと思って、
順調にいっているはずの新婚生活。
それが、籍を入れて1年半ほど、
式を挙げてからまだ10か月ほどしかたってなかったんですが、
夫婦関係にかなり重大な亀裂が。
まぁ意見が食い違う事もあるけど、
長く連れ添って行けば何とかなるだろう
とゆるーく考えていたんですが、
そんな簡単なことでは無かったんですね。
幸せな新婚生活と思っていたのにいつの間にか完全に離れていた嫁の気持ち
夫婦として共に生きるという事は
思っていたよりも遥かに難しいようです。
僕みたいにあんまり物事を深く真剣に考えない人間には、
誰かと一生をかけて連れ添うという事は不可能なんでしょうね。
当時、僕的にはなんとかやり直したいと思って
かなり妥協してみたんですが、
向こうの気持ちは完全に離れていたみたいで、
既に修復不可能の状態でした。
そうなるとメンタル非常に弱い僕は、
普通に仕事を続けるのも無理になって、
なんか何もかもがイヤになってしまったんです。
1度目の離婚もかなり落ち込んで、
完全復帰するのに数年かかりましたからねー(*ノωノ)
2回目ならちょっと耐性で来てるかなと思いきや、
1回目以上に凹んで、そのまま平然を装って仕事したり、
友だちに会ったりってのが「無理やわ」
ってなりました。
バックパック1つと自転車で全てから逃亡。完全無計画でバックパッカー開始
その時は、恐らく傍から見たら
死人の様な顔して生活してたと思います。
気分が奈落の底に落ちていた当時の僕は、
こんな思いをするなら死んだ方がマシ
なんて真剣に思ってしまう始末。
で、離婚後もそのまま生き続けるのは無理だと判断し、
それでも命を無駄にするような勇気のない僕は、
全てを放棄して逃げるように大阪を去りました。
仕事も、友達も、親兄弟も、大好きなばあちゃんにも、
何も言わずに離婚届だけちゃんと書いて、判押して。
「残りはやっといて下さい、さようなら。」
30Lのバックパックに入るだけの荷物を積めて。
通勤用に乗っていた自転車に乗って、
夜10時頃、国道2号線をひたすら西に向かって
雑念を払うかのように黙々と自転車を漕ぎました。
都会の喧騒から徐々にネオンも少なくなり、
何時間も自転車を漕いで、真っ暗な海沿いの道を越え
明け方には明石辺りにたどり着きました。
この先どうなるか全く不明でしたが、
とりあえずなんとなく目的地は
沖縄の石垣島に設定されていました。
バックパッカーJUNYAの誕生です。
この時はバックパッカーと言う言葉すら
全く知らなかったんですが。
無計画に無責任に始まった自転車の1人旅は最高だった
ただ海が綺麗。
と言う印象しかなかった石垣島でしたが、
そこに行けば何かがあるかもしれない。
行っても何もないかもしれない。
ただ全てを放棄した僕は、直感の向くままに
ひたすら石垣島を目指して自転車を漕ぎました。
自転車1人旅で人の優しさを全身に染みわたるほど体感した
全く知らない町、全く知らない道。
ただ、Googleマップを頼りに町から町へと
自転車を漕ぎ続ける毎日。
岡山、香川、愛媛、広島と進んだ頃には、
さすがにずっと一人で誰とも喋らないのは寂しくなり、
ふらっと小料理屋とかバーとか、
ローカルな小さめの店に入るようになり、
そこの常連さんや、店員さんに色々と
自分の身の上話をする様になりました。
皆初対面なのに話を真面目に聞いてくれて、
色んな励ましの言葉をかけてくれたり、
中には食事代を奢ってくれたり、
明日の朝飯にと大きなおにぎりを作ってくれたり、
本当に優しい人ばかりで心が震えまくりでした。
自転車でのんびり1人旅は景色も気分も最高
爆発するほどのネガティブな気持ちいっぱいで
始めたこの自転車1人旅ですが、
出会う人たちのやさしさだけでなく、
行く先々の景色も本当に素晴らしい最高の体験で、
色んな悩みを吹き飛ばしてくれました。
景色に加えて1日8時間とか自転車を漕ぎ続ける
運動量も悩みやストレスをかなり解消できます。
色んな思いはありましたが、
今振り返ってみると全てを放棄しての自転車1人旅は
当時の自分にとって最善の選択だったと思ってます。
石垣島到着!3ヵ月間自由気ままに離島めぐり
およそ2週間程で鹿児島に到達し、
そこから沖縄本島までフェリーで丸1日。
沖縄本島も北部の本部港から那覇まで自転車で移動。
那覇から石垣はフェリー出てなかったので、
あっさり自転車を乗り捨てて飛行機で石垣島へ。
念願の石垣島についに到着。
石垣島を拠点に八重山列島を巡りに巡って、
宮古島にも2週間ほど行って、
とにかく沖縄のキレイな海を満喫し、
完全にストレスフリーな3ヵ月間を過ごしました。
本当に、無責任なことをしたけど、
大阪を出てきて良かったと心から思います。
大阪を出てから、石垣島がある八重山諸島と宮古島を
存分に楽しんだ思い出を3分程にまとめました(*´▽`*)↓
本当に辛いと心が叫んでいる時は、心が安らげるところに全力で逃げるべし
この自転車の旅のお陰で、30年間も気づかなかった
色んな事を知ることが出来ました。
1人で自由に行動することの楽しさや、
バックパック1つと言う最小限のモノだけで
身軽に生きるという事の楽しさ、
なんの予定も立てず直感のみで行動するオモシロさ。
完全に責任を放棄するという非常識な行動で、
周りにはそれなりの迷惑や心配をかけたと思います。
しかし、生きるのが本当に辛いと感じた時は、
何もかも捨てて、自分を安全なところに避難させる
という事も大切だと思います。
物理的とか金銭的に安全と言う意味ではなくて、
精神的に安心できて、心をむしばむ事のない安全なところです。
本当に心が辛いと感じる時は、
逃げろと言うサインだと思って、
全てを投げ捨てて逃げることが一番大事だという事を、
この自転車の旅で実感ました。
最終的に自分の心を守れるのは、
自分しかいないという事ですね。
のび旅の人 JUNYA は無責任な自由人
という事で、僕が普通の大阪人から、
無責任浮浪者になったキッカケについてお話しました。
2回の離婚を経験し、当時は色々と辛い思いをしましたが、
過ぎてみれば自分の人生にはなくてなならない経験だった
としみじみ思います。
あれほどの大きなショックが無かったら、
普通の大阪人の殻を破れずに、
今でもずーーーーっと大阪で暮らして
普通の人を続けてたことでしょう。
そう考えるとゾッとしますね。
大阪を出てからの数年間で経験した、
あらゆる経験や出来事が全部なかったら。
想像すると退屈過ぎて泣きたくなります。
無責任で良い。
自分のやりたい様にやるのが一番
自分の心にとって健康的。
心が健康なら、身体も健康。
皆も僕と同じことやれとは言いませんが、
もっと無責任に自由に生きても良いんじゃないでしょうか?
僕が心からリスペクトしている大師匠
野比のび太のように。
のび太のようにのんびりいきましょう。
さて3ヵ月沖縄を放浪したあと、
僕は石垣島に移住しようと仕事を始めるのですが、
それがまた予定通りにいかずとんでもない方向へ!?
のび太のおっちゃんに話しかける